逆さクラゲ

長い文章

Mi Refugio / Mosalini Teruggi Cuarteto/ Tango de HoY

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 去年の10月に招待券をもらって武蔵境でやるタンゴのコンサートに行った(場所が場所だから交通費で結局普通のオケの学生券ぐらいの値段にはなってしまった)。

 大学の同じ学科を卒業したらしい早川純さんっていうバンドネオン奏者と、ロンドン王立音楽院を出てる久保田さんっていうピアニスト(借家に電子ピアノしかないのにそれで練習してなんかのコンクールで1位とったエピソードが印象的だった)、それに現代音楽作曲家・ダニエル・テルージを父に持つベース奏者のレオナルド・テルージ(19歳からベースをはじめてコンセルヴァトワール出たらしい、ピアノもやたらと上手い)のトリオで、このテルージさんがセットリストのいくつかの編曲を担当しており、これがめちゃくちゃに素晴らしかったのだ。

 タンゴを編曲することになったので不意に思い出したのだけれど、彼らは動画を投稿しておらず、色々探してやっと見つけたのが冒頭の動画である。バンドネオンを弾いてるモサリーニさんはタンゴ界では結構有名な方らしい。

 詳しくないんだが、タンゴというのは(かっこいいのはわかるけど)ちょっと自分には情感的すぎるというか比較的ダサい音楽のような気がしていた。しかし、アルゼンチンの血を持ちながらフランスで生まれ育ったテルージさんの編曲には、そのダサさをひょいと跳び越えてしまうような洒脱さがある。

 掲載した編曲はまだ正統派タンゴな感じがするが、それでも時々ハッとするような和声やリズム感に遭遇する。楽器の扱いも卓越しており、2分30秒地点からのアンサンブルとか4分10秒地点からなんかは聴いていて本当にドキドキする。10月のコンサートではもっと挑戦的・実験的な作編曲も多く(彼は新曲も作る)、いくつかはほとんどタンゴの編成でジャズをやっているような印象のものだった。

 20世紀前半フランスの作曲家をよく聴く。調性の軸がブレて無調・複調や種々の旋法が当たり前に聴かれるようになるのみならず、外部からガムランとかジャズとかが入ってくるこの時代に、彼らがそういった外来の音楽を「こんな感じでしょ?」って(真面目でないのとは違うんだが)さらっと、一種傲慢な姿勢を持って、「優越民族・フランス人」たる自分の技法やセンシビリティの中に取り入れてしまう感じがとても好きだ。テルージさんの音楽にはこういった感性に通ずるものがあり、彼は多分もっと真摯にタンゴに取り組んでいると思うけれど、あまり深刻な表情を見せることはなく、やはり「こんな感じでしょ?」「こんなの面白くない?」といった知的な遊び心が随所に見受けられる。もっと聴きたい。たくさん動画上げてほしい。CD入荷してくれ。

 

追記:原曲です。これがああなるのか。

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脚気とカリフラワー

 一人暮らしはじめてからカリフラワーを一度も口にしていない気がする。

 今日はタコをすごく久しぶりに食べたんだけど、ラム肉とか、ふきとか、舌びらめとか、じゅんさいとか、めかぶとか、こうなんかパッとしない、あってもなくても変わらないような、そういえばそんな名前の奴いたな、いつも窓際の後ろから2番めの席で、机ずっと彫ってて、学年変わる時にバレてめっちゃ怒られて、茶色のマッキー塗ったってごまかせるわけないだろ、その瞬間だけ存在が意識されるような食材が結構ある。
 一人暮らしというのは自分の食事のほとんどに関して自分で責任をとらなくてはならないので、出さればなにも考えずに食べてたようなものとかに関しても、細かい好みというか、積極的に食べるかなこれ、というような感じの傾向が浮き彫りになる。パクチーはたぶん牛肉より食べてる。
 脚気という病気を知っていると思う。膝たたくと足がビョンってなる検査の、自分は世代じゃないから受けたことない、脱脂粉乳とかDDTとかそういうもんかなと思ってる。明治時代の帝国軍が白米6合とか食べさせるから兵士バタバタ死んで、海軍は米食が原因じゃないかってずっと言ってたんだけど、ドイツかぶれの陸軍医、森鴎外とかが細菌原因説を採用して猛反発、兵士もっとバタバタ死んで、外地なんかでは戦死者より脚気で死んだ人の方が多かった、結局玄米が採用されたのが大正入ってから、こういうところがあるから高校のときやった舞姫とかもあんま好きになれなかった、「ニル、アドミラリイ」の気象ってなんなんだ、腹立つな、原因がわかって昭和に入ってからもしばらく脚気で民衆バタバタ死んでたらしく、全員気が狂っている。
 そういうことを考えていると、カリフラワーとめかぶにしか含まれてない希少なミネラルとかぽっかりと抜け落ちているなにかの栄養素があり、そのうち妙な病気にかかって医者にも原因がわからぬまま窓の外のポプラの残りの葉の数をかぞえたりしながらなすすべなく死んでいくのではないか、というか玄米とかも食べないからその脚気にかかりそうな感じさえする、気が気でない。はやく実家に帰りたい。

まつ

原稿用紙3枚にも満たない超短篇です。1年前ぐらいだったか、とある連作企画に寄せたやつで、主人公は「海辺のバス停」です。結局計画倒れでした。若干の改作を加えています。文体がいまにもまして痛い。
 
 
 
まつ
 
 終バスがいってしまって、ぼくはいつもひとりになる。 
 
 潮風がちょっとずつ冷気をおびて、オレンジ色の温度が水平線のふちに結晶してゆく時間。砂ぼこりの濁りをふくんだ空気の澱が少しずつしずんで、上澄みのかすかな匂いが全身をひたとしめらせるこの時間がぼくは好きだ。
 
    ぼくの背後にあるその木。姿をみたことはない。ぼくがぼくであるということに気づいた時には、すでにそこに立っていたその木。
 
 あるときあるおばあさんが、ある男の子にはなしていたこと。立派な「まつ」の木だこと、昔から。立ち別れ、いなばの山の、峰に生うる、まつとし聞かば、いま帰り来む。といってですね。お別れして遠くのいなばのくにへ行く私ですが、そこに生えている「まつ」のように私の帰りを「まつ」ときいたならば、すぐに帰ってきます、って意味なんですがね、わかりますか、「まつ」をひっかけてるんですよ、言ってみれば駄洒落だねえ、おかしなことで、ね。私がまだ小さかった頃ですね、飼っていた犬が逃げてしまったときにね、私の母がね、この歌を短冊に書いてね、餌のお皿の下に置いておくとね、いなくなった生き物が帰って来るんだって教えて下さってね、弟と二人で一生懸命書いて。結局犬は、近所のお兄さんが、石で打ち殺してしまったようなんですがね、
 
 
 眠いな。ぼくは何をかんがえているんだろうか。
 
 
 みえない街の灯の向こうから、やせて背のたかいおじいさんがぼくのもとにやってくる。電灯のあかりはきれぎれで、そのわずかな光も潮の匂いにながされてしまって。顔はよくわからない。手にもった杖と同じぐらい細い脚を、それでもしっかりとした足取りでふみしめながら。ぼくの横にすわる。
 時刻表をみようともしないで、リュックサックをおろす。今日はもうバスがこないことを彼はしっているのだろうか。すこし猫背ぎみの身体をまたしめった匂いがなでていって、絹糸みたいにたっぷりとした白髪がそよぐ。頼りない空気のなかで、その白さだけが美しくかがやいている。はるか遠くのみえない漁船をながめながら。彼は何をまつだろうか。ぼくは想像する。いつまでもとまったままの漁船。もしかしたらどこかの家の灯かもしれない。それならちょうど夕食どきだ。海の上の、彼は、いま、もしかしたら、まつものの、その。
  
 ぼくは目をとじる。ぼくの眠気も潮風の冷たさにしずんで、明日まためざめたときに、彼はまつものをみつけられるのだとおもう。彼はあゆんでゆく、そのときの彼の脚は「まつ」の木に似ている。
 
 ぼくは静かに夜が朝につながれるのを待つ。

短歌

図書委員の会報みたいなやつに載った短歌です。



明るさの自動調節



  • 満月のみずうみをうす明き千の兵士の薄氷ふんでゆくふゆ


  • 三月のでんきうなぎは泥の中こぽりこぽりと夜ごとかがやく


  • 船室のシチューの皿にとけてありさめてゆく声(そこにいますか)


  • おとうとを鳥にさらわれたこどもだけならんでください白い雲梯




  • 小糠雨のなかを泳いでゆくからだ  進化過程をさかのぼる夜


  • 五十万年のあかとき孤島なる灯台守はパンを焼きおり



  • 牡蠣をかむわたしがかつて牡蠣だったころふいていたきんのうみかぜ


  • ひさかたの光の道とか二限目を抱いて河原を駆け抜けていた


  • 児は走りプールサイドにならびゆく足跡  ふたつ、みつ、よつ、いつつ


  • 視神経ちぎる音だけ七十数分流れているCDを焼く


  • 眠れなくてふわり車道のまんなかをあゆむ未明と明のあわいに





  • 貝塚の貝ひとかけをはがしとり靴職人の訃報などきく


  • オリオンのほうへと息をはくきみの白磁のいろの切る歯つぶす歯


  • ぱらり、と一枚の葉がおち古典ギターはねむる  あすゆきがふる




ここからは解説です

読まなくていい


・満月の

ほんとうは満月じゃなかったし薄氷じゃなくて芋畑だし兵士じゃなくて高校生ですけど、全校生徒で夜通し歩くよくわからない学校行事です。


・三月の

数合わせです、電気ウナギは光りません。


・船室の

「何々の」という初句が多いですね、あと冒頭の歌と「ゆく」がかぶってるのがダサい、数合わせです。


・おとうとを

あとで寺山修司

あたらしき仏壇買いに行きしまま行方不明のおとうとと鳥

という短歌を知ってなんだよそれという感情になりました、「鵜」の漢字のせいとかですかね、というか短歌やろうっていうのにこんな歌も知らないのが終わってるんですかね。


・小糠雨の

多分5月ごろの歌です、5月ごろはそんな感じ。


・五十万年の

「あかとき」とか「おり」とか言っとけばそれっぽくなるとか思っていたみたいです、パンを焼いて暮らしたい。


・環礁の

よくわからない感じになってしまいましたが、汀という言葉が好きなのとどこかで見た博物館が水没している絵が素敵でした。


・牡蠣をかむ

牡蠣はおいしい、海を全部食べた味は絶対牡蠣の味だと思います。


・ひさかたの

ひさかたのという枕詞が好きです、特に音が好きです。これは要するにサボりの歌です、晴れた日は午前中をサボって河原で自転車を漕いだりしていました。


・児は走り

記憶が正しければはじめて作った歌です、プールサイドは良い。


・視神経

・眠れなくて

今だったらとても載せてない二首です。「視神経」のほうは学園祭のBGMに使う波の音だけのCDを焼いていたときに思いつきました、吉川宏志

皿の上の肉を食いおりいま我は無数の見えざる血管を食う

の影響をだいぶ受けている気がします。

「眠れなくて」の歌はほぼ事実ですがほんとうは自転車です、「眠れなくて」なんてどストレートメンヘラちゃんな表現ではなくてもっと他にあっただろうと思います、もう絶対書きません。


・平原に

ちょっと前いろいろあったらしいウクライナ情勢とかは全く関係ないんですけど、オカリナの音からの連想です、ちょっと前におばに借りていたオカリナを落として割りました。


貝塚

もともとは同級生の母親が死んだみたいな話だったんですけどこねくりまわしてるうちに靴職人に、サラダ記念日ももともと唐揚げかなんかだったみたいなのでその辺のねじ曲げは許容されると思いたい。


・オリオンの

歯が好きです。


・ぱらり、と

クラシックギターを練習しようとしていたことがあって、結局練習しませんでした。


・全体

会報のほうでは最後に2行ぐらいあけて小さい字で「あすゆきがふる」と入れていたんですが、恥ずかしいので消してしまいました。

当時は順番や構成、あとサ行とかハ行とかそういう音の統一感をだいぶ意識していたようです、もっと歌の中身をがんばれよって話ですけどそういうのも気にしだすと気になってしまいます。

全体的に笹井宏之あたりが大好きな人みたいになってしまった感じが、実際大好きですけど、でもたぶんもう短歌とかしばらくやりませんけど。