逆さクラゲ

長い文章

『ナディア・ブーランジェとの対話』 ブルノー・モンサンジャン 佐藤祐子訳 音楽之友社

 音楽家の師は、自らもまた教授する分野を専門とする高名な作曲家や演奏家であることが多いのだが、たくさんの作曲家・演奏家を育てた20世紀フランスの指揮者/作曲家/演奏家(もっとも作曲はかなり早い時期に断念している)、ナディア・ブーランジェ(Boulanger,Nadia 1887〜1979)はむしろ「音楽教師」として名声をなした大変稀有な存在である。本書は彼女へのインタビューを軸として構成されており、ストラヴィンスキーなどとも交友があった「20世紀音楽の語り部」としての証言に大変な資料的価値があることは言うまでもない。また、弟子であるアメリカの作曲家、アーロン・コープランドをして「存命中で最も偉大な作曲の師」と言わしめたナディアの教育上の特色と教育思想について考察を与える上でも、礎石となる一冊だろう。

 「優れた音楽家であるためには優れた理論家でなければならない」、鍛錬や知識の習得こそが、まずだいいちに音楽家各個人の純粋な直感的情緒の表現を助けると考えていたナディアは、ソルフェージュなどの基礎教育・聴覚教育を重んじた。基礎知識を身につけないままで徒らに「個性」の尊重ばかりを謳うような教授法は、彼女にとっては耐え難いものであったに違いない。ナディアの音楽教育法の根幹をなす思想は、自己表現はしっかりと基礎が確立された音楽語法の上にこそ成り立つ、というものであった。音の読みとり、聴きとり、理解や判断の自在さの身についていないままに自己表現を行ったつもりになっているような音楽家に対して、彼女は「それは真の自由さではなくて、放縦なだけなのです。」と言い放つ。こういった教育上の信条に基づいた教授法として、彼女は生徒たちにバッハの《平均律クラヴィーア曲集》を週に一曲ずつ、各パートを暗記することを要求したという。

 先の段落でも「自己表現」という語を用いたが、彼女は基礎教育をおこなう中で、生徒全てが共通の感覚を身につけることではなく、何よりもまず生徒おのおのの「自己表現」「芸術的意図」を重視した。「私が唯一生徒たちにしてやれることは、自己表現ができるための様々の方法としての知識を与え、その自由自在さを彼ら自身の指でじかに確かめさせることなのです。」彼女は、自分の仕事は音楽の基礎教育を施すことだけであって、生徒たちに表現しようとする意図がないのであれば、何の意味もないと考えていたようである。生徒へ誤謬を指摘する方法についての、「真実を言わねばならぬのは当然ですが、あくまで自信が湧くように、内なる自我を取り除いた無私の立場を取らねばなりません」といった語り口には、生徒の自己表現、好奇心を殺さないように教育することに対していかに彼女が苦心し、真摯に向き合っていたかが伺える。

 生徒各個人の自由さを尊重する一方で、彼女のレッスンの基本スタイルは毎週水曜日の集団授業であった。「集団意識の中でものを考えたりそれを互いに対比し合ったり、人間的、或いは音楽的な他の人々の考えを知ることは大いに重要なことなのです。」

 ナディアの門人にはジャン・フランセ、コープランドエリオット・カーターなどに代表される、新古典主義的な作風を持つ作曲家が多い。しかし、ミュージック・コンクレートの創始者の一人であるピエール・アンリとピエール・シェーファーミニマル・ミュージックの作曲家として知られるフィリップ・グラス、ジャズの作曲家でありアレンジャーでもあるクインシー・ジョーンズ、モダンタンゴの革新者であるアストル・ピアソラなど、様々なジャンルにその弟子を持つこともまた事実である。これは、厳格でありながら個性を重視するナディアの教授法と決して無関係ではないであろう。「それぞれの学生には異なったアプローチが求められるため、それぞれの人を理解するよう努めねばならない」、とナディアは言う。