逆さクラゲ

長い文章

どうしたらいいですか?

自意識があまりにも過剰なので、この「あまりにも過剰」という部分を書くのにだって「『あまりにも』と『過剰』では重複しているな、でもなんか『自意識過剰』だと成句感強いし、そういうセットで選んどきましたみたいなスナック感覚を出したいわけではないんだよな、とか思って」だったり、そう、勝手に逡巡するだけではなくて、わざわざ、そういうことを思うというところを一回通っていますよ、というエクスキューズを、エクスキューズって単語使うのだって恥ずかしいわ、昨日覚えたのかなってやつだろ、どうせ、これ、いやエクスキューズなんて大した横文字感じゃないよな、さすがに知ってるわ、でもそれを使うのにも神経質になるわ、そう、なんて言ったらいいかな、言い訳?但し書き?を付けてしまいたいぐらいに、過剰なので、何かをやってる感を出すのが絶望的に嫌なくせに、こいつは何かあるやつだと思われたい、っていう、こんなこと考え始めたらおしまいなんだよね、もし何かやってる感を出しておいてその何かについて何か言われたら嫌だし、嫌っていうか、世界全部終わったぐらい落ち込むと思う、だから褒められるのが約束されていること以外はしたくない、最悪褒められなくてもいいから褒められる想像でホクホクしたい、だけど「おれの考えうる最高のパフォーマンス」という、なんか、なんだろうな、変なの、変なやつ、灰色の変なやつ、があって、自分の起こしたある行為がそこに到達できないことが確定した時点で満足できない、というような単純な話ではないんだけど、単純な話だよ、単純な話をわざわざややこしくする以外のことができないんだよ、脳を全部白子ポン酢にして食べてしまってね、すみませんね、だから自力で気づけるレベルの瑕疵は他人にはより極端に見えているだろうな、と考えてしまって、それもそれで他人をナメてるんじゃないかと思うんだけど、そういうところもあるから厄介なんだけど、そもそもお前のことを他人はそんなに考えていないということをよく言われるんだけど、だけどだけどうるさいな、そういうことじゃないのよ、他人って別に特定の人物の集合ではなくて、こう、脳内にいる仮想敵というか、敵でもないんだよな、こういうことを考えてしまうのが正常な状態であると思っているところもあって、むしろないやつ頭おかしいだろぐらいに考えているうちにこっちの頭がおかしくなってしまったんですが、最初からおかしかったという説もある、この、これも自意識です、自意識自意識ってそんな言うけどなお前、自意識についての優れた自白は1億個ぐらいあるのにな、わざわざ自意識自意識っていまさら言ってお前、面白くもねえし、長えし、無名の石碑の写真とか撮ってブログにアップしてた方がたぶん面白いし、無名石碑に限らなくて、喫煙所とか、郊外パチンコ建築とか、公共施設の壁画、商店街の看板つき電灯、電光看板(そば うどん 380円!とか流れてくる方のやつ)とか、巡り始めたら楽しそうだなというものはいっぱいある、大抵やらないんだけど、電光看板はちょっとやってて、でもあれ動画で撮らないといけなくて、あと、回り始めてわかったんだけど、ワンループ3分以上のものが結構あって、iPhoneのストレージがアレだったのでやめてしまった、いま思うとYouTubeに上げてしまう方法はあるのにね、電光看板のワンループが長いのが存外多い現象、個人的には面白いと思っていて、面白くない?綾瀬駅ホームから見えるメリー歯科みたいに何か、特に交通機関の待ち合わせ場所に近いとか、喫煙所の前とか、そうした特殊な事情がなければ3分も同じ看板を見ていることはないと思うし、車でしか通らないような国道沿いの店なんかにそういうのを見つけると、広告という目的を超えてしまった自己表現への強い意志を感じて、こう、なんかいいよね、いいんだけど、いいんだよこんな話は、どうせ3年とか経ったら消すし、こういうの全部、厳しすぎるだろ、普通に、22歳にもなった奴のこういう話、高校生ぐらいで自意識の問題は解決しておけよ、22っていうのもおれは本当は信じてないけど、もう同級生にちらほら子供産まれ始めてるぞ、そんなんだったら最初からなにも書かなきゃいいんだけど、わざわざブログにアップしましたよ~ってツイッターにまでアップしちゃってまあ、どうせ誰も読んでないけど、誰も読んでないぐらいでいいんだけど、上記の理由で、上記の理由?上記の乱雑な文面から皆様は何か筋道だった理由を見つけることが出来ましたか?ご一緒にお考えください、仕方がないので上記に何か理由が記されているとして話を進めますけど、上記の理由でなんか1日8回ぐらい何もしたくなくなっちゃうんですよね、でも、だから、何もしたくなくなっちゃってる状態、自然状態では?と考えている部分もあって、これが私の好きなことで、それは私の仕事でもあります!って、フェイクでもなんでも言える人は、最近ではそういうのも全部いい意味で使うことになっているのをこれ幸いとして、いい意味です、という但し書き、但し書きをつけさせて頂きますが、頂きますけれども、マジで、頭おかしい、と思うし、無駄なことをしていたらそれがお金になってました、というスタンスも、それは私は面白いですというセルフボーストなので、それをすることが悪いとは全く思わないし、全く思わないしとか言ってるやつ大体は思ってるよね、し、って語尾が腹立つし、でも本当に思っていなくて、生存のためにはそれぐらいの自己肯定感は最低限必要なのだという気もするのですが、すごいなあと眺めてしまうし、そんなに楽しくもない仕事をしている人たちには、手に職をつけてまで維持するほど人生は楽しいのですか、って、本格的に中学生みたいなことを言い出してしまった、あ~、あ~あ、やってるわこれは、完全にやった、いま死のうかな、マジで、考えて考えてその末の楽しいですか、の乾いた叫びのつもりなんだけど、もう大体おしまいなんだよ、こういう、なあなあでやってるようで、ちゃんとした人たちがちゃんと考えた理由があるような、だのにあまりにも無知であるが故に口をついてしまうような、そういう、でっかい、でっかいことの話をし始めたら、人は、おれすごい純粋な親切心を持っている一面もあるんですけどね、そういうところを評価して欲しいな、脳みそないけど、せっかくなら体の方も捨てたいよね、いつもどっか痛いし、変な形だし、邪魔だし、居残り授業だよこんなん、つまんないんだよマジで、瞬間的な心地よさというのはある、美しいものとか美味しいものとか、でもそういうもののために生きるって言えるほど感覚が鋭いわけではないです、動機としては弱いです、残念ですが、いま、まさにいま、いま死にに行かないのはもはや、両親や周りの人を理由もなしに傷つけたくないぐらいの理由しかなく、いや、普通に怖いし、多分ずっとやんないけどね、やんないんだよね、こういう人は、でもなんで周りの人が悲しまないためにおれが苦しみを一身に背負わなきゃなんないんだよって、傲慢、最初の「他人」の話からそうだけど、実際には特定の個人の身の上のことを考えたことは一回もないよな、自分の中で勝手にツッコミを入れて自分でキレてる、あんまり近寄らない方がいいタイプですね、これは、存在は存在していることを賛美されるべきだろ、特定の行動の対価によってやっと存在することを継続できる、継続できる訳でもないんだよな、継続の申請を出せる、ぐらいの物なのかもしれないな、でもとにかくそういうの絶対おかしいからな、おれが言いたいのは、おれを助けろ、ただしおれはおれ自身を賛美するつもりはありません、おれに助けられるほどの価値があるとは思っていません、なので助けられるための努力は絶対にしません、ということで、合ってますか?どうしたらいいですか?おれ