逆さクラゲ

長い文章

訪れの瞬間

おれの主な活動はタイムラインに流れてくるプロモアカウントを片っ端からブロックすることなのでTwitterを見ている時間がかなり長い

今日は「留学先で仲良くなった中国の商社OLからのメール」として以下のようなツイートが流れてきた(原文は英語、直接の引用は控える)

「ニューヨーク時間はカリフォルニア時間より3時間"早い"が、それはカリフォルニアが"遅い"ということではない。ある人は22歳で(大学を)卒業したが、安定した職につくのに5年を要した。ある人は25歳でCEOになり50歳で死んだ。またある人は50歳でCEOになり90歳まで生きた。(略)人はそれぞれの"タイムゾーン"の中で生きている。周りの誰かがあなたよりも"早い"ように感じることもあるかもしれないし、"遅い"ように感じることもあるかもしれない。(略)でもみんなはみんなの、そしてあなたはあなたのタイムゾーンを生きている。人生とは行動を起こすための適切なタイミングを待つということだ。落ち着いて。あなたは遅れていない。あなたは早すぎもしない。(略)」

 

タイムゾーンの例えは、まあツッコみ始めたらキリがないぐらい機能しておらず全くしっくりは来ないが、こういう一種のポエムにおいては「それっぽさ」を持たせるだけのギミックだと思うのでまあいい 言いたいことはわかる、「焦るな」というだけの、一種の運命論的な主張だろう

「行動を起こすための適切なタイミングを待つ」確かにいい言葉です あるいは「何かを始めるのに遅すぎるということはない」ということを言う人もいる それもよくわかる 先のポエムで言えば「安定した職につく」「CEOになる」といった分かりやすい成功のモデルが設定されているが そのような目標を持つことができないおれのような人間もたくさんいるだろう 我々はそれでも、いつか何かが「なんとかなる」と予感しているから生きることを続けてしまっているのではないですか そうでなければこのような責苦に耐えている理由がない またある人は「苦しくても生きるのは死ぬのがもっと怖いだけ」というようなことを言うが それでもまだ我々のほとんどが生きて、それも善人でいられるのは、臆病でありながらやはりそういう「なんとかなり」を無意識的に信じているからだろう なんとかなる、というのがどういうことかというと それこそポエムな感じの言葉で言ってしまえば、生きていて良かったと納得できるような瞬間が訪れることではないでしょうか 基本的には苦しいことばかりなのだからそのような訪れがあるという直観がなければやってゆかれない  

だからまあ、CEOになることにしろ、もっと小さな納得にしろ、そういうものを「訪れの瞬間」と呼ぶことにします  ある一点で人生がまるっきり変わってしまうというのはあまりにも単純化しすぎた考え方だが、そのような瞬間はそう何度もあるものではない 人生を、摩擦のない空間を直進しようとする球の描く軌道のようなものだと考えよう その軌道を変えようとして球に衝突するのが個々の出来事 人生を出来事の連続だと考えて、砂粒のようなものの衝突も含めてしまえば、球には常に不規則な摩擦がかかっていると言うこともできるわけだが ここでは話を簡単にするために「ただし抵抗はないものとする」的モデルを採用します それでも後から見て明らかにその軌道を大きく変えたと思われるような出来事を設定することはできるだろう 惑星と惑星の衝突のようなそれを それは人生をいい方向に進めるものかもしれないし、そうではないかもしれないが それを「訪れの瞬間」と呼びたいわけです またポエムになってしまった 機能しない比喩  

ただ「訪れの瞬間」について考えようというときには、むしろ人生の有限性ということに思いを馳せずにはいられない 人生の軌道をまるっきり変えてしまうような「訪れの瞬間」は、一度ではないかもしれないが、そう何度もあるものではない そして、残酷なことだが、運命論的な視点を採用すれば「訪れの瞬間」がその人の死んだ後、例えば150年後などに設定されている場合も全くもってありうる そんなことばっかりだ ということについて最近よく考える 先のタイムゾーンの比喩が機能していないのは人生が有限だから ある「訪れの瞬間」が必ず来るように運命づけられていたとして そのとき各々が生きているかはわからない

一旦タイムゾーンの話に帰ってみよう そして、わかりやすく「日の出」を「訪れの瞬間」として設定しよう 明日、6月23日、日曜日、日本時間午前6時 日本では日が昇っているがイギリスはまだ暗い その瞬間に地球に小惑星が衝突した それで全てが終わりました 東京の街は「日の出」を拝んだ後で、ロンドンの街は夜の闇のうちに、それぞれの歴史を終えた それは、東京が23日午前6時を迎える瞬間のロンドンはサマータイム込みで22日の午後22時であり、そして「日の出」の時間はイギリス時間23日の午前4時42分に、運命的に設定されていたからです 人間にタイムゾーンの概念を適用するならば、そのようなイレギュラーが恐ろしく短いスパンで、頻繁に起こっているとも言えてしまう

 

おれは将来について暗い話をするたびに「そのうちどうにかなるよ」と言われ続けて来たが 今までのところ全然どうにかなっていない いつか「訪れの瞬間」があるような予兆もない 億万長者になるようなつもりもなくて(そういうわかりやすい目標があった方が人生は楽なのかもしれないが)ただ色々なことのありようを肯定したいだけなのに それすらうまくいかない なんかどうにかなりそうだったのにどうにかならないまま死んじゃったような人のことを我々はふつう考えない 省みられなくなることが怖い 大抵、まあわかりやすく言えばwikiができたり歴史の本に載ったりするような人のほとんどは現世に大きな「訪れの瞬間」のあったような人だ 匿名的な人間のことを考えることも時々はあるよ、事故や事件のニュースを見たり 6月になればこの有名なコピペを思い出す「年間交通事故死者数は約4000人で今年始まって半年近く経つから大体2000人は死んだんだろうな  あと大体2000人は必ず死ぬわけだけどそいつら今何してるんだろう」  でも彼らは匿名だ 匿名であることが本当に悲しいことなのかはわからないが

とにかく我々の命は有限で、どうにかならないまま死んじゃうというのは、今世に「訪れの瞬間」が来なかったというだけの 簡単だけれどとても悲しい話で それらのことを考えた上で、最初の引用のように「落ち着いて」「行動を起こすための適切なタイミングを待つ」ことができるかというと おれにはわからない いっそ小惑星が衝突してくれた方がなんぼか楽なんじゃないか

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